「借りる」ではなく「預かる」という感覚

最近、「預かる」という言葉について、改めて深く考える機会がありました。

今までも、知識は自分だけのものだとは思っていませんでした。

治療の知識も、身体の見方も、技術も、すべて先人たちが積み重ねてきてくれたものです。

よく「巨人の肩の上に立つ」という言葉がありますが、まさにその通りで、今の自分が考えたり、施術したり、教えたりできるのは、先人たちが残してくれたものがあるからです。

だから僕自身も、学んできたものを自分なりに整理し、現場で使える形にして、次の人に渡していく。

そういう感覚でやってきました。

ただ最近、それは「借りている」というよりも、「預かっている」に近いのだと気づきました。

借りるという言葉には、どこか自分が使うために一時的に受け取るような響きがあります。

でも、預かるという言葉には、相手の大切なものを、責任を持って守るという意味があります。

この違いに気づいたとき、自分の中でずっと感じていた違和感の正体が、少しはっきりしました。

僕は、自分が検証を重ねながらまとめてきたOCLの考え方や、OCLストレッチの技術を人に伝えるとき、雑に扱われることがとても苦手でした。

なぜ、こんなに嫌なのだろうと思うこともありました。

でも今ならわかります。

先人たちから大切に預かり、現場で何度も確かめながら磨いてきたものを、軽く扱われたように感じていたからなのだと思います。

知識や技術は、ただの情報ではありません。

そこには、積み重ねてきた時間があり、考え抜かれた理由があり、現場で確かめてきた重みがあります。

だからこそ、形だけ真似るのではなく、その奥にある意味まで大切に扱ってほしい。

そこに、僕自身の研究者としてのこだわりがあるのだと思います。

知識も技術も、僕だけのものではありません。

師匠が先人たちから預かってきたものを、僕に預けてくれた。

そして僕は、それを現場で使い、考え、磨き、自分なりの形にして、また次の人に手渡していく。

そう考えると、知識を伝えることは、ただ教えることではありません。

大切なものを、次の人に預けることでもあるのだと思います。

そしてこの感覚は、治療にもそのままつながります。

患者さんの身体を「預かっている」。

もちろん、今までも乱暴に見ていたつもりはありません。

自分が治してやろう、という気持ちで向き合っていたわけでもありません。

それでも、「預かっている」という言葉で改めて整理されたことで、患者さんの身体を見させてもらう意味が、より深く実感できるようになりました。

目の前の身体は、その人が今日まで生きてきた歴史そのものです。

痛みも、不調も、頑張ってきた跡も、無理をしてきた時間も、そこには全部含まれています。

だからこそ、簡単に決めつけない。

雑に扱わない。

こちらの都合で変えようとしない。

お預かりした身体を、今より少しでも楽に、動きやすく、その人らしく使える状態へ近づけて、最後はその人自身にお返しする。

それが、治療家としての僕の責任だと思っています。

先日、師匠とお話ししたときにも、そんな話をさせていただきました。

師匠から預かった知識を、僕は今こういう形で使っています。

こういうふうに現場で活かし、こういうふうにまとめ、こういうふうに次へ渡そうとしています。

そう報告することは、僕にとって、ただの近況報告ではありません。

預かったものを、大切に扱い、自分の代で少しでも良い形にしてお返ししたい。

その確認でもあるのだと思います。

知識も、技術も、患者さんの身体も。

どれも自分のものではありません。

だからこそ、丁寧に向き合いたい。

預かるという言葉には、責任があります。

でも同時に、信頼もあります。

大切なものを預けてもらえる人間でありたい。

そして、預かったものを大切に扱い、少しでも良い形にしてお返しできる治療家でありたい。

最近は、そんなことを改めて感じています。

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